Cyberpunk2077 没入感の最大化

Cyberpunk2077のカットシーンを一人称視点中心にすることにしたらしい。

没入感の最大化が重要だとのことです。


ただ、一人称視点=没入感が高い、というだけだと、納得しにくい。

さらに言うとカメラを自身に固定することで、カメラを使った演出に制限をかけることにもなる。

映像表現の最大化を放棄することになる。

没入感に全振りするということ。全振りした結果、よりプラスだと確信していると。


そんな「没入感を超えた没入感」が存在するのか、そんな没入感特化をみんなが求めているのか、受け入れられるのか、ということだと思う。


天秤にかけてプラスだとの決断だと書いているけども、やっぱりそこには経営的、予算的なところもないわけじゃないわけで。

チャレンジングな試みだから結果的に、不評~賛否両論に終わる可能性もあるけど、誰かがやらなきゃいけない失敗なのかもしれないと思えば、まだ救いはあるか。

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